昨年の秋から読み始めた『野生の思考』、クロード・レヴィ=ストロース著書、大橋保夫訳の図書。
表紙やタイトルの雰囲気が気に入り、「読書の秋」にぴったりだと思っていたのに、気づけば冬を越え、もうすぐ春。なぜこんなに時間がかかったのかというと、正直なところ、一章目の「具体の科学」だけで満腹状態に。続く二章から九章は、自分には難解で、1日数ページ、あるいは数行しか進まない日々でした。最初、手にした時に読んでみたいと思ったのが、「具体の科学」で、芸術的創造や器用仕事(ブリコラージュ)、神話的思考といったキーワードが飛び交い、創作活動する上で、抽象と具体を行き来しながらものを考えることが多いので、具体の科学の内容について惹きつけられました。
それで、興味を持って読み始めたのだけれど、その後の章は難解すぎました。ようやく読み終えて、「で?結局、何の話だったっけ?」となり、訳者あとがきの大橋保夫氏の要約に助けられ、やっと、なるほどなあとなりました。
この要約がなければ、正直、理解が追いつかなかったかもしれません。
『野生の思考』は、一九六〇年代に始まったいわゆる構造主義ブームの発火点となり、フランスにおける戦後思想史最大の転換をひき起こした著作である。本書の直接の主題は、文明人の思考と本質的に異なる「未開の思考」なるものが存在するという幻想の解体である。未開性の特徴と考えられてきた呪術的・神話的思考、具体の論理は、実は「野蛮人の思考」ではなく、われわれ「文明人」の日常の知的操作や芸術活動にも重要な役割を果たしており、むしろ「野生の思考」と呼ぶべきものである。それに対して「科学的思考」は、かぎられた目的に即して効率を上げるために作り出された「栽培思考」なのだ。この分析を通じてレヴィ=ストロースは野生の思考を復権させるとともに、神話の論理の探究への道を開いた。それは人間精神の普遍性の把握にもとづく異文化理解の基礎理論の建設であると同時に、「野蛮人とは野蛮を信ずる者のことだ」とまで言い切るほどに厳しい、西欧文化のエスノセントリズムの自己批判である。
(出典:クロード・レヴィ=ストロース、大橋保夫訳『野生の思考』みすず書房、1976年、p.354)


日本での出版は1976年。約50年前の内容だから、今とは見解が異なる部分もあるかもしれないだろうけれど、現代社会にも通じる示唆が多くあったなあと感じました。ところで、「エスノセントリズム」というのは、何?と思って、調べてみたところ、文化中心主義(エスノセントリズム)という考えらしく、自分の文化を基準にして、他の文化を判断する考え方のこと。時には、他の文化を低く見てしまうことにつながることもあるようです。
創作活動のヒントになるかもと「具体の科学」に引き込まれて辿りついたところが、異文化への理解の話で、自分の価値観や、自分たちの文化を大切にすることと同時に、異なる文化を知って、感動したり、受け入れる姿勢も大切だなあと、あらためて思いました。